Washburnギターの沼地へ

Washburnギターの沼地へ

最近このギターを入手した。

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軽くて小さい

しかし、ラベルもなければ、サウンドホールを覗いてみてもネックブロック含めてどこにも刻印がない。

見た目的には相当な貫禄がある。さまざまな補修跡が見受けられる。おそらくネックはリセットされているだろう。12フレット以降が少し下側に折れた感じになっている。しかしそのおかげか弦高も低く、演奏性は非常にいい。またフレットも打ち替えられているようで、問題ない。

トップはスプルース、サイド、バック、そしてヘッドストックの木目を見ると、ブラジリアンローズウッドのようである。

トップ、サイドバックそれぞれオーバーラッカーされているようだ。ただし、トップのラッカーは少し時間が経っているようで、すでに色褪せ、塗装も痩せてきている。バインディングが少し不自然なので、これもあとから付け加えられたものかもしれない。またブリッジもなんとなく質感から、リプレイスされているように感じる。ボディ内部のブリッジプレートも補強されている。

サイズはいわゆるパーラーサイズ。スケールは1弦で614mmといったところ。ナット幅は45mmで普通だが、ネックの形状が強い三角形であるのが特徴的だ。バレーコードを抑えると親指が痛む。

肝心のサウンドだが、小さいサイズなので音量は控えめだが、澄んでいながら太い音がする。サスティーンも長く、一音を弾いただけで5秒間は楽しめる。他の同様のギターを弾いたことがないので比較はできないが、現代のギターでは実現不可能なサウンドが鳴っているのはよくわかる。

ちなみに以下は前所有者が7年前に購入した際の店舗からの説明とのこと。
「1800年代後期から1900年代初頭にライアン・ハーリーやウォッシュバーンのOEM生産を手掛けていた工房で製作されたコンパクトなパーラーギターです。1900年頃のウォッシュバーンの資料に、ほぼ同スペックが記載されていますが、これにはロゴ焼印や番号が入っていません。多分同じ工場製の物ながら別ルートで販売されたものだと思われます。」

そしてその前所有者から参考資料として下記の書籍も譲っていただいた。

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大きな判型で分厚い本だ

ページをたぐってみる。
楽器屋さんの説明文を信じると、このあたりであろうか。
しかし、相違点はいくつかある。まずボディにバインディングが無い。またブリッジの形状もちょっと違うように思う。いや、これはスタイル301となっているし、ボディサイズが大きいな。

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図表の左下に101は値段が20ドルと書いてある。

シェイプとしてはこちらが近い。

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Style 1 だから最初期のモデルなのだろう

Style1というのは「スタンダードサイズ」なのだそうだ。そして101というのはスタンダードサイズの一番安いモデルのことをいうようだ。当時のカタログには20ドルという表示がある。1900年頃の20ドルの価値はいかほどだろうか。ちょっとググってみると、1900年当時一ドル=一円、当時の一円は現在の2万円くらいの価値なので、20ドルは40万円くらいということになる。結構高級ギターじゃないか。

もしこのギターが1800年代のものだったらすごいじゃん!、などと本を見ながらワクワクしていた。しかし、そもそもこのWashburnという会社、どういう成り立ちなのか、全然知らない。ちょっと調べてみることにした。日本のWikiではろくなことが書いていないが、英語版を見るとたくさん書いてあった。

要約すると大体こんな感じである。
「Washburnはライオン&ヒーリーとして1964年に設立された楽器メーカーから生まれたブランドである。元々はオルガンなどを製作していたが、1988年頃にギターやマンドリンなどの撥弦楽器の製作に着手し、そのブランド名を創業者の一人、ジョージ・W・ライアンのファーストネームとセカンドネームを冠して「ジョージ・ウォッシュバーン」と名付けたという。ジョージ・W・ライアンは1889年に、もう一人の創業者パトリック・ヒーリーも1905年に亡くなっている。その後も需要は伸び、会社は拡大したが、1928年にギターの製造部門を楽器卸会社のトンク・ブラザーズに売却するなどし、その後Washburnの名前はリーガル楽器会社に引き継がれたが、1940年代初頭には衰退してしまった」
ちなみに現在も”Washburn International”という会社がありギターを販売しているが、彼らは過去のWashburnとは直接的な関係は無いとのこと。シカゴにあった楽器商が1970年代にWashburnの商標を13,000ドルで取得して作った会社なのだそうだ。

また余談だが、ライオン&ヒーリーの名前は現在でもオーケストラで使うようなペダルハープ、レバーハープのメーカーとして残っている。

https://lyonhealy.jp/

Washburnのビンテージギターというのはせいぜい1940年代止まりであり、それ以降は作られていないということだ。第二次世界大戦より前にしか存在しない。もっといえば、第一次世界大戦より前がメインである。これはなんだか、新しい世界がひらけてきたような気がする。マーチンはロゴにSince1833と書いてあるから別格として、ギブソンは設立が1902年だそうだから、それよりも古いのである。市場に出ているのは戦前に作られたギターだけなのだ。しかもマーチンほど高くない。これはちょっと沼にハマってしまうもしれない。命綱を用意しておいた方が良いかもしれない。

実は以前ギターを買ってくれたフランス人のお客さんで、ギターが好きで、自宅に工房まで作ってしまい、古いWashburnを自分でリペアした、などと言う人がいた。もしかしたら詳しいのかもしれない、と思い。写真を撮って送ってみた。すると、すぐに返信が来て、曰く、

あなたのギターは残念ながらWashburnではない。
Washburnなら100%ボディの内側にスタンプが押されている。だが、シカゴ製の楽器であることは間違いない。
RegalはLyon&Healy社から委託されてWashburnも作っていたので、同じ工場で作られた可能性がある。Regalのギターの多くには刻印もシリアルナンバーもない。チューナーとポジション・マーカーから1910年から1915年の間と推測される。
この時代に製造されたギターには、様々なブランドやモデルの要素が混在しているものが多い。L&Hのネック、Regalのボディ、Washburnのトップといった具合だ。在庫があるものを使っただけなんだ。マーチンにはシリアルナンバーがあり、詳細な登録プロセスがあった。L&Hにはそれがなかった。

また、その後フランスのWashburn先生とのやりとりで、上記のWashburn本の40ページにおそらくそのギターのことが書いてあるぞ、とのこと。Googleレンズの力などを借りて確認すると、こんなことが書いてあった。

元々1889年以前のWashburnのギターにはポジションマークが無かったのだが、1889年から1892年までの間のギターには、5、7、10フレットにパールドットが付けられていた。しかし、1896年のカタログでは、10フレットのマークが9フレットに移動している。そして不思議なことに1910年から1915年までの間に再び10フレットに移動し、1915年以降は再度9フレットに移動している。この1910年から1915年の、この一時的な10フレットへのポジションマークの移動は非常に興味深い。この10フレットのポジションマーク、そして茶色とベージュの寄木細工は、同時期の"Regal instraments"の多くのギターと仕様が似ている。可能性として、その時期にWashburnはRegalに製造をアウトソーシングしていた可能性がある。これは同時期に行われたピアノの販売キャンペーンに伴う増産によって、ユニオン・パーク・ファクトリーのキャパシティを超えてしまい、1914年のフラートン・ファクトリーを開設するまでの間、一時的に楽器の製造を外部に委託していた、という事情があるようだ。

確かに10フレットにポジションマークのあるギターなんてみたことがない。そのような理由でWashburn製ではなくRegal製、製造時期は1910年から1915年、ということなのだ。面白い。

1915年のギターだとしても100前以上前のギターである。1915年とは、第一次世界大戦が勃発し、ドイツが飛行船ツェッペリンでイギリス本土を空爆した年である。そして、芥川龍之介の「羅生門」を出版された年でもあるという。

そういえば、ジェイムズ・ジョイスがギターを弾いている写真について少し調べたことがあったが、その写真がまさに1915年のものだった。何か運命的なものを感じる。

ということで、このギターはWashburnでは無いようだが、次は本物を探してみようか。こうして人は沼地へ向かうのだろう。

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