ルー・リードと同級生 ガーランド・ジェフリーズ

ルー・リードと同級生 ガーランド・ジェフリーズ

サムネイルの写真はこちらのフェイスブックで流れてきた。

キャブションには「ルー・リードはシラキュース大学図書館で英語の学位を取得、将来のミュージシャンの友人ガーランド・ジェフリーが見ている。1962年。」とある。

1962年ということは、ルー・リードは20歳、ベルベット・アンダーグラウンドは1965年に結成されているので、その3年前ということになる。そうは見えないが、まあ本当なのだろう。

それよりもこんな若い頃からガーランド・ジェフリーズと友達だったのか。昔から二人に交流がある、ということは知っていた。どちらかの結婚式にどちらかが出席した、などというエピソードを記憶している。(どちらなのかは記憶していない…)

このフェイスブックへのコメントが面白い。
「ガーランド!! 昔のボス」
「Garland Jeffreysは悲しいほど見逃されていた - 素晴らしい才能」
「この男は二人とも天才ソングライターだ。 Garland Jeffreysは悲しいほど過小評価されている!」

意外にもガーランド・ジェフリーズのファンが多い。実は僕も高校生の頃からずっと好きだった。1981年のアルバム「エスケイプ・アーティスト」、同年の「ロックンロール・アダルト」は何度も聞いた。そのあとに出た「ガッツ・フォー・ラブ」というアルバムも素晴らしかった。しかしそのあと、1990年代に3枚、2000年代に入ってからも4枚しかリリースがなく、あまり知名度も高くないように思う。最新アルバムは2017年「ハーレムへの 14 ステップ」で、2019年に「ロックンロールの靴を履くのをやめる」と引退宣言をしている。1943年生まれだから現在80歳である。

ニューヨーク出身、お父さんが黒人と白人のハーフ、お母さんがプエルトリカン。彼のアイデンティティ自体が「混血」であり、代表曲「I may not be your kind」という曲がある。「僕はきみとは種類が違う」というメッセージ。白人にも黒人にもなれない。この曲もレゲエのリズムだが、それもあってか同じく混血のボブ・マーレーに共感していたのかもしれない。「ノー・ウーマン・ノー・クライ」もカバーしている。

彼はレゲエもやるし、R&Bもやるし、ラテンぽい曲もあるが、あえてレッテルを貼るならロックンローラーが妥当な呼び方だろうと思う。「エスケイプ・アーティスト」に入っている「R.O.C.K.」という曲は歌詞も曲調も恥ずかしいくらいロック丸出しの曲だ。しかしそれがカッコ良くできるのは彼だからなのだろう。Bメロの歌詞がカッコいい。

“You can feel it in a heartbeat
You can feel it like a soul beat
You can hear it in the bass line
You can feel it in the backbeat”

少しウィキペディアから引く。
1943年ニューヨーク、ブルックリンのシープスヘッド・ベイ出身で、アフリカ系アメリカ人とプエルトリコ人の両親の血を引く。シラキュース大学で美術史を専攻、そこでルー・リードと出会う。1966年、ジェフリーズはグリニッジビレッジにある多くのナイトクラブで演奏を始める。またジョン・ケイルの1969年のデビューソロアルバム「Vintage Violence」でギターを弾き、「Fairweather Friend」という曲を提供したという。

1969年ピアニストのスタン・シェレスト、ギタリストのアーニー・コラーロ、パーカッショニストのサンディ・コニコフとともに「グラインダーズ・スイッチ」というバンドを組む。このバンドは翌年には解散しているが、一枚アルバムを出しており、ヴァン・モリソンの『アストラル・ウィーク』のプロデューサーであるルイス・メレンスタインがプロデュースしたそうだ。ちょっと探したら当時の音源が出てくる。なるほど、少しヴァン・モリスンっぽい。それにしても、まだ60年代である。

1973年最初のソロアルバム『ガーランド・ジェフリーズ』をアトランティック・レコードからリリース。また同時期にアトランティックはアルバムに収録されていないシングル「ワイルド・イン・ザ・ストリート」をリリース。この曲はブロンクスで起きたティーンエイジャーのレイプ殺人について書かれたものだった。ドクター・ジョンやデヴィッド・スピノザが演奏に参加しているのだという。彼の代表曲となった曲だ。

1977年の「ゴーストライター」から1983年の「ガッツフォーラブ」まで6年で怒涛のように6枚のアルバムを出す。こちらは1981年の「エスケイプ・アーティスト」発表当時の映像。若いし、ラスタヘアがカッコいい。代表曲の”96tears”。ストラングラーズがカバーしていたのを思い出したので、それも。

その後1994年の”Don't Call Me Buckwheat”まで活動を休止。これはそのアルバムのタイトル曲、ジェフリーズが野球を観ていたときに侮蔑的な言葉をかけられた経験から生まれたという。10年ぶりだがこれも素晴らしいアルバムだった。

こちらは2003年にヴィム・ヴェンダース監督の「ザ・ソウル・オブ・ア・マン」に出演した時の映像。映画の趣旨なのだろうが、珍しくブルースを歌っている。

そして最近、2017年の映像、名曲「ニューヨーク・スカイライン」。本当に素晴らしい歌声と演奏だ。この曲を聴くと、ニューヨークの風景が思い浮かぶ。行ったことはないけれど。ルー・リードはニューヨークの同性愛者や娼婦の物語を歌ったが、ガーランド・ジェフリーズはそこで暮らすマイノリティの子供たち、ティーンエイジャーの悲しみを歌ったように思う。シラキュース大学の図書室で二人がどんな会話をしていたのか、気になるところだ。

 

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