正直なところ坂本龍一の音楽をちゃんと聞いたことがなかった。
もちろん戦メリとかラストエンペラーは知っている。それにいろんなところでその仕事には触れている。彼がプロデュースをしたアート・リンゼイやアズテック・カメラのアルバムはよく聴いた。忌野清志郎とのデュエットもよく覚えているし、NHKFMのサウンドストリートだって当時結構聞いていた。911の後の「非戦」とか、311の後の反原発の活動には強く共感したし、昨今の社会問題への関わりも尊敬の眼差しで見ていた。しかし彼の曲やアルバムはこれまでほとんど聞いてこなかった。
とりあえずこの本を買って読んでみた。
「音楽は自由にする」2009年に出版された坂本龍一自身の語る自分史である。
中学生の頃に叔父さんのレコードコレクションからドビュッシーの音楽に出会って心酔し、自分はドビュッシーの生まれ変わりなのではないか、と真剣に思い込んだそうだ。お父さんが河出書房の編集者だったので、本棚にある難しい本を片端から読んだのだそうだ。中学生で「裸のランチ」を読んでいたそうだ。そんな子供いないよね。
とにかく小さい頃からピアノと作曲を基礎から勉強し、クラッシックからビートルズ、ジャズ、現代音楽、と幅広い音楽に触れて育ってきた、非常にアカデミックな音楽遍歴である。10歳の時に高橋悠治のコンサートに行った時の感想がすごい。(連れていく親もすごいと思うが)
「僕はまだ10歳で、それまでバッハとかモーツァルトしか聴いていなかったわけですから、とにかくびっくりしました」
そもそもバッハとかモーツァルトを聴いてる10歳の子供なんてなかなかいないだろう。うちの子供も11歳だが、せいぜいYOASOBIの「アイドル」を替え歌にして口づさんでいるぐらいだ。
また亡くなった後、テレビでやっていた映画「CODA」を観て感動した。2017年の映画。5年間もの間、密着取材をして撮影したドキュメンタリーだ。2017年発表の「asynk」の制作過程が撮影されている。シンバルをコップでこする、バケツを頭に被り外に出て雨の音を聞く、果てには北極まで行って氷河が溶けた水の流れの音を採取する。
僕が中学生くらいの時に、母親の持っていたコンパクトなテープレコーダーで、家中の音が出るものの音を採集したことを思い出す。RECボタンを押しながらミュートをして、鍋を叩いたり、紙を破ったり、コップを叩いたり、ピアノの蓋を開けて中の弦を叩いたり擦ったり、それをその一瞬だけミュートボタンを開けて、録音をして、それが連続するとアバンギャルドな音楽になる。そういう遊びをしていたことをこの映画をみて思い出した。すっかり忘れていた、そういう音楽、音に対する好奇心、興味、というものを思い出させてもらった。
坂本龍一といえば矢野顕子である。数年前に家にあったアナログレコードが聴きたくなり、古いアナログアンプを買い、持っていた古いプレーヤーに繋げた。その時に矢野顕子の「長月・神奈月」という彼女が20歳の頃のライブアルバムを聴いて驚愕した。日本の童謡をジャズにアレンジしてピアノで歌いまくるのだが、まあ、天才というのはこういう人なんだろうな、と思った。坂本龍一も先の自伝の中で矢野顕子と結婚した理由を「この才能をなんとか守りたいという男気のようなものだった」と語っている。才能に惚れたということなんだろう。
また、先日映画「MINAMATA」を観た。坂本龍一が音楽を担当している。
ジョニー・デップが制作主演で、世界の坂本が音楽を担当する映画が、なぜ日本で黙殺されてしまうのか。ほとんどプロモーションされなかったのではないだろうか。まさに現在の日本の状況を表しているようだ。ジャニー喜多川の問題と同じだと思う。メディアが資本の力に屈してしまう、黙してしまう。きっと坂本龍一ならはっきりと異を唱えただろう。
たまたま先日、その水俣病の象徴であった「百間排出口の撤去」に関するニュースを見た。柳田國男が反対しているという。ああまだご存命なのかと思うとともに、偉くなってもこういう問題に声をあげるというのは本当に偉いな、と感銘を受けた。
映画音楽といえばすっかり忘れていたのが「シェルタリング・スカイ」。ラストエンペラーの後、1990年にベルトリッチが撮ったポール・ボウルズ原作の映画である。この映画の音楽も担当している。もう一度探して観てみよう。
自伝の中でベルトリッチからラストエンペラーの音楽をやってくれ、と突然電話がかかってきた時のことが書かれている。1週間でなんかとしろ、と。とりあえず2週間くれ、と答えて、急いでレコード屋に行き中国音楽大全みたいな音源を仕入れて一日かけてそれを聞き、東京にいる中国音楽の奏者に連絡をとり、中国風のメロディーにヨーロッパの宮廷音楽のエッセンスを加えたようなメロディーを作り、それを演奏してもらって修正を加えながらスコアを書き、当時はインターネットもないので、NHKとBBCの衛星回線を借りてそのデータをイギリスに送信して確認してもらう、という作業を毎日ほぼ徹夜でやったそうだ。なんという行動力。
とにかく仕事の鬼だったのだろう。家族は大変だったろうと思う。自伝にも自分の家族の話はあまり出てこなかった。もしかしたら優しい家族思いのお父さんなのかもしれないが、あまりそういう感じがしない。父親が出版社の編集者で家にほとんど帰らず、子供の頃は目も合わせてくれなかったそうだが、その子供も同じようになるのではないだろうか。
粗野なところもある。大学時代はデモがあれば棍棒を持って出かけていたそうだし、「武満徹は日本の楽器なんか使って戦前の国粋主義だ」とか言ってビラを作ってコンサート会場まで押しかけて撒いたりしたという。学生時代、流行っていたフォークが嫌いで、新宿の地下で反戦歌を唄う男を捕まえて「そんなチャラチャラした歌で革命なんかできるか!」などと言って回ったという。フォークといえば、新宿ゴールデン街で飲んでいて、友部正人に気に入られ、全国ツアーに連れて行かれる話も出てくる。
だがその嫌いだった日本のフォークミュージックについて、もともとはアメリカのフォークソングで、そのルーツには古くアイルランドやスコットランドの民族音楽の影響があり、深く突っ込んでやっている連中の音楽からはそれがちゃんと聞こえてきた、それがとても興味深かった、と語っていたのはなんだか嬉しかった。
当然南米の民族音楽にも興味を持っていたに違いない。
こちら僕が一番気に入っている坂本龍一がピアノ演奏をする映像である。