John Lennonの命日に

John Lennonの命日に

1980年12月9日、僕は中学一年、夕食を食べているときテレビのニュースを観た兄さんがショックで突然席を立って二階に上がってしまった。そのニュースがジョン・レノンの銃撃事件だった。

当時NHKFMの音楽番組が特集したジョン・レノンの追悼番組を録音したテープをなん度も聞いた。「ギブ・ピース・ア・チャンス」「真夜中を突っ走れ」とか「ブレス・ユー」とか入っていて今考えるとちょっと渋い選曲のような気がするが、多感な少年はあっという間に魅了された。

宝島の小冊子でジョン・レノン特集のペーパーバックスが家にあって、ずっと眺めていた。ジュリア母さんのこととか、ミミおばさんのこととか、ポールとの出会いのこととかが書かれていた。その中にティーンエイジャーだった時に、アイルランドに鱒釣りに行ったエピソードが書かれていた。ジョン自身もアイルランド系だったし、「ザ・ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」という曲もあった。『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』に収録されている、珍しくヨーコの歌が爽やかな名曲だ。この「ザ・ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」は三拍子の曲で、アコースティックギターを使ってトラッド調の雰囲気を出しているのだが、当時この感じがたまらなく好きだった。僕がその後アイルランドを好きになったことにもこのあたりのことは多分に影響していると思う。

こちら初めて観る動画ですが弾いてるのはMartin D28でしょうか。完全弾き語りです。それにこんな率直な、ある意味過激な歌詞の歌を流していた当時のテレビもすごい。爆弾テロ盛んにやっていた時にIRAを擁護するような内容ですから。

もう一つ決定的だったのが、当時静岡で「すみや」というレコードを買うならそこしかない、という店があり、そこで当時はまだ珍しかった輸入盤フェアというのをやっていて、そこでアルバム「ロックンロール」を買ったのだ。洋盤である。当時は日本盤より、洋盤の方が安かった。日本盤のアルバムは必ず2500円したが、洋盤だと2000円しないものも多かった。なんだか違う匂いがするし、音も違う。洋盤の方がレベルが大きくて、角が立った迫力のある音に聞こえた。おそらくほぼ初めて買った海外アーティストのレコードだと思う。幸運だったと思う。今でも一番好きなアルバムだ。その時買ったものが手元にある。

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ジョン・レノンはあまりギターにこだわりがある人じゃなかったんじゃないか、と思っている。アコースティックはギブソンが多い。J45とかJ200とかを使っていたようだ。晩年のダブルファンタジーのあたりではオベーションなども使っている。

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こちらの写真はビートルズ後期のインドに傾倒していたときのものでJ45を抱えている。このギターはドノバンから譲り受けたもの、と説明にある。トラヴィス・ピッキングという親指でベースを鳴らしながら伴奏するカントリースタイルのギター奏法をドノバンから習って曲を沢山作った、という蘊蓄も書かれていた。

でもギターを弾くのは絶対好きだったと思う。70年代の後半、育児に専念しているころ部屋にはいつもアコギが置いてあって、時々ジョニーBグッドとかルート66を歌って子供に聞かせていたというエピソードもどこかで読んだことがある。こちらの写真もその頃かな。

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最後にもうすぐクリスマスなので、こちらをはりつけておきます。
本当にどうにかして戦争が無い世の中にならないものかな。

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