AULD TRIANGLE シェインを偲んで

AULD TRIANGLE シェインを偲んで

2023年3月、セント・パトリックス・デイのイベントに呼ばれ、三島のアイリッシュパブで歌うことになった。まだポーグスのシェイン・マクガワンが亡くなったばかりだったので、追悼のつもりでポーグスの曲ばかりを歌った。そのうちの一曲、「Auld Triangle」を歌い終わると、一人の女性から声をかけられた。彼女は一緒にいた若い白人男性を指さして、「この歌を作ったのは自分の親戚だと、この人が言ってます」というのだ。

自分の出番が終わってから、改めてその男性に話を聞いてみると、自分の母親の叔父さんにあたるのがこの「Auld Triangle」を作ったブレンダン・ビーハンだという。また彼は自分の母親は作家で、ビーハンについての本も書いているんだと教えてくれた。その後ネットで調べてみると、お母さんはジャネット・ビーハンという方だった。「ブレンダン・アット・ザ・チェルシー」という戯曲が2011年にベルファスト、ダブリン、そしてニューヨークで上演され絶賛されたという。

こちらはその芝居の予告編

ブレンダン・ビーハンは日本ではほとんど知られていないが、アイルランドでは大変な人気者である。大酒飲みで作家、詩人、戯曲家、歌が好きで熱心なアイルランド共和主義者、若い頃にはIRAにも所属していたが、基本的には暴力反対の人である。1923年にダブリンで生まれ、酒のせいで1964年に41歳の若さで亡くなっている。

ちなみに先ほどのジャネット・ビーハンの「ブレンダン・アット・ザ・チェルシー」とは、有名になってからのブレンダン・ビーハンがニューヨークに行くと泊まっていたのがあのチェルシーホテルで、そこでのドタバタを描いた芝居だという。ベルベットアンダーグラウンドのニコが「チェルシーガールズ」を歌い、シドアンドナンシーの事件のあったあのホテルである。ビーハンは晩年ここに数ヶ月滞在し、当時の著名人と出会い、酒を飲み、その後ダブリンに戻り亡くなっている。

そして「Auld Triangle」はブレンダン・ビーハンの戯曲としての処女作「The Quare Fellow」の作中で歌われる歌で、ダブリンの後、1956年にロンドンで上演された際、酔った本人が壇上に上がって歌ってしまった、というエピソードもあるという。この「The Quare Fellow(奇妙な奴ら)」はビーハンが過ごした獄中生活をモチーフにした作品で、「Auld Triangle」はその刑務所で時を告げるために使われていた大きな鉄のトライアングルのことを意味している。

ちなみにアイルランド音楽を世界に広めた功績で知られるチーフタンズの伝記には、パディ・モローニが最初に考えたグループ名はこの「The Quare Fellow」だったと書かれている。パディ・モローニ自身も何度もパブでビーハン本人と会い、歌の伴奏などもしたことがあるそうだ。

こちらはポーグスオフィシャルのチャンネルから配信されている2013Mixの「Auld Triangle」。確かに音が良くなっている。

なんとも物悲しく、寂しい感じがするけれど、じんわり心が温まる曲ではないか。

Auld Triangle
by Brendan Behan

A hungry feeling came o'er me stealing
And the mice were squealing in my prison cell
And that auld triangle went jingle-jangle
All along the banks of the Royal Canal

Oh, to start the morning, the warder bawling
"Get up out of bed, you, and clean out your cell"
And that auld triangle went jingle-jangle
All along the banks of the Royal Canal

Oh, the screw was peeping and the lag was sleeping
As he lay weeping for his girl Sal
And that auld triangle went jingle-jangle
All along the banks of the Royal Canal

On a fine spring evening, the lag lay dreaming
And the seagulls were wheeling high above the wall
And that auld triangle went jingle-jangle
All along the banks of the Royal Canal

Oh, the wind was sighing and the day was dying
As the lag lay crying in his prison cell
And that auld triangle went jingle-bloody-jangle
All along the banks of the Royal Canal

In the women's prison, there are seventy women
And I wish it was with them that I did dwell
Then that auld triangle could go jingle-jangle
All along the banks of the Royal Canal

空腹感に襲われる
牢屋の中でネズミが鳴いている
あの古ぼけたトライアングルがガランガランと鳴り響く
ロイヤルカナル運河に沿って

朝から看守が怒鳴る
ベッドから起きて、独房を掃除しろ
あの古ぼけたトライアングルがガランガランと鳴り響く
ロイヤルカナル運河に沿って

看守が覗くと、囚人は横になっていた
ガールフレンドのサルを想って泣きながら
あの古ぼけたトライアングルがガランガランと鳴り響く
ロイヤルカナル運河に沿って

春うららかな夕方、囚人は夢見ている
カモメが塀の上を旋回している
あの古ぼけたトライアングルがガランガランと鳴り響く
ロイヤルカナル運河に沿って

風はため息をつき、日が暮れようとしている
囚人が牢屋で泣いている
あの古ぼけたトライアングルがガランガランと鳴り響く
ロイヤルカナル運河に沿って

女性刑務所には75人の女がいるという
あそこに一緒に住めたらいいなと思う
あの古ぼけたトライアングルがガランガランと鳴り響く
ロイヤルカナル運河に沿って

こちらはビーハン本人が歌う「Auld Triangle」

こちらは1976年のダブリナーズ、ルーク・ケリーがリードをとる「Auld Triangle」。やはりこれがナンバーワンだと思う。

こちらは1987年のアイルランドRTÉ Oneで放送されたザ・レイト・レイト・ショーのダブリナーズ特集の映像。少し前半の話が長いが、3分30秒くらいのところで登場するのは闘病中のキアラン・バークである。彼はダブリナーズのオリジナルメンバーだが、1974年に病に倒れこの時も闘病中であった。彼がビーハンに捧げる詩を朗読した後に「Auld Triangle」の演奏が始まる。胸に迫る素晴らしい朗読だ。この翌年1988年の5月にキアランは53歳という若さで亡くなる。

映像の後半、ダブリナーズの後ろでちんまりと歌に参加しているメンツを見てほしい。シェインをはじめとしたポーグスの面々、U2のボノもいる。みんな若い!

こちらは今年4月に行われたポーグスデビュー40周年コンサートの映像。

歌っているのはナディーン・シャー。1986年生まれのイギリスの歌手・ソングライターである。シャーはイギリス北西部で生まれ、17歳でロンドンに移り、歌手としてのキャリアをスタート、移住後すぐにあのエイミー・ワインハウスと親しい友人になったという。まずこの歌を女性が歌っているのは初めて観た。そしてなんという素晴らしい歌声。

こちらは2014年、アイルランド大統領の英国への初の公式訪問を祝ってロンドンのロイヤルアルバートホールで行われたコンサートの模様。メンバーがすごい。グレン・ハンサード&フレンズ、となっているが、エルヴィス・コステロ、イメルダ・メイ、リサ・ハニガン、コナー・オブライエン、ポール・ブレイディ、ドーナル・ラニー、アンディ・アーヴァイン、ジョン・シーハン。

なんとボブ・ディランも歌っている。ボブ・ディランも60年代にチェルシーホテルに滞在していた時期があり、生前のブレンダン・ビーハンに会ったことがあるという。

11月30日はシェイン・マクゴワンの命日である。この曲を聴きながら偲ぼうと思う。

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