ケルト・ユートピア ひとつのアイルランド

ケルト・ユートピア ひとつのアイルランド

ケルト音楽のユートピアが見られると期待した観客は、映画の冒頭、北アイルランドとの国境近くにあるダンドークの廃れた海岸の磯場で、メリー・ワローパーズのメンバーが打ち上げられた羊の死体を発見して、近づいて「くっせー」などとはしゃいでいる様子を観て混乱することだろう。

監督の一人デニス・ハーヴェイは1991年ダブリン生まれだという。僕は大学4年の時に同じ1991年にダブリンに語学留学をしたことがある。その同じ年に生まれた監督の作品ということに何か感慨を覚える。
なぜ当時の僕がアイルランドに留学をしたのか、といえばその頃大学生だった僕は、ヴァン・モリソンとチーフタンズのアルバム「アイリッシュ・ハートビート」や、ポーグス、ダブリナーズ、ウォーターボーイズの「フィッシャーマンズ・ブルース」などを聞いて衝撃を受け、この音楽が生まれた国に行ってみたい、と思ったからだ。しかしこのアイルランド音楽をメインテーマにした映画には、そうしたアイルランド音楽の先駆者たちはほとんど登場しない。登場するのは彼らよりもふた世代ほど若く、それほど売れてもいない、地元で活動するミュージシャンたちだ。

1998年の和平合意という妥協の延長線上に放置された南北の分断、カトリック教会によるあまりにもひどい人権犯罪の歴史、そうしたものに目を瞑って国策として奨励されてきた保守的なケルト文化、90年代以降のケルティックタイガーとよばれた経済発展、そうした中で2000年代以降の若者が¬アイデンティティーを模索する姿をこの映画では描いている。監督が1991年生まれだというのはそういうことだ。

映画の前半でダンドークの吟遊詩人、ジンクス・レノンが街角で弾き語りをする、「Tyrants of the Open String」という題名の曲。ギターの難しいオープンチューニングについて歌っているようで、歌詞のなかに、アンディ・アーバインとパブで出会い、そのチューニングはどうやっているの?と質問したが、答えてくれず、近くにいた男から、そんな質問は野暮だぞ、とウィンクをされて、腹が立つ、などという件がある。的外れかもしれないが、その主張は、俺たちはそういうケルト文化のエスタブリッシュメントの流れにくみしないぞ、難しいギターのチューニングなんかより大切なことがあるだろう、音楽はもっと自由だ、ということが言いたいのではないか。

Lankumのイアン・リンチのインタビューが素晴らしかった。子供のころから父親から「抵抗するためにアイルランド語を勉強しろ」と言われつづけ、反抗心もありずっと嫌だったが、大人になって全てがモノカルチャー化していく世の中に危機感を覚え、ああ、やはり勉強しなきゃ、と感じたらしい。しかし、その気持ち、感覚は伝えるのがとても難しいんだ、と言葉を詰まらせながら話すその姿勢に誠実さを感じずにはいられなかった。そういえば映画「Kneecap」でも主人公はIRAの父親から「アイルランド語は武器なんだ、弾丸なのだ。だから学ぶのだ。」と言われて育つ。しかしイアン・リンチは侵略者への「抵抗の武器」としてだけ学びたいわけじゃないんだ、と言いたいようであった。

こちらはこの映画の公式サイト。登場するミュージシャンのプロフィールや、監督のインタビューなど非常に多くの情報が盛り込まれている、素晴らしいサイトだ。

また公式サイト内にもリンクがあるが『「ケルト・ユートピア」制作時のフィールド・レコーディング2021-2024』として、映画で使われた音源も公開されている。

「デニス・ハーヴェイ監督による「ケルト・ユートピア」プレイリスト(Spotify)」も。

この映画でのベルファストのロケではKneecapを取材していない。映画のテーマから考えれば最もふさわしいミュージシャンなのであろうが、あまりにも彼らが一世を風靡しているので、監督はあえて取り上げなかったのだろうか。

Kneecapもそうだが、若者たちにとってアイルランド統一は実現不可能な夢の話ではないのだと思う。「カトリックとプロテスタントの和解は難しい問題だが、最後は溶け合っていくしかないんじゃないか」とジンクス・レノンも語っている。自分たちの固有の言葉、文化、アイデンティティーを守ることと多様性を認めることはある意味矛盾する。純血性を求めれば保守的、排外主義的になる。しかしそもそも純血性を守り、保守的になった音楽ほど退屈なものはない。イアン・リンチが逡巡していることのなかにそうしたことも含まれているのではないか。エレクトロやラップ、ゴシックでホラー、ポスト・パンクな音楽で満ち溢れているこの映画のプレイリストは全然退屈ではない。もしかしたらこの映画の延長線上にひとつのアイルランドがあるのではないか、という希望を見た。

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