毎日暑い。外に出ないから運動不足で体調も良くない。SNSを見ても外国人差別ばかりで気分が悪くなる。なんだか疲れてしまった。こういう時にはペンギンカフェのような音楽が良い。
ペンギン・カフェ・オーケストラ(以降PCO)は知名度が高く人気もある。うちの近所にはペンギンカフェというカフェがある。そこではペットとして、ロボット犬のアイボが飼われているのだが、その名前がサイモン、というそうだ。確かめたわけではないが、もちろん主催者であったサイモン・ジェフスから取った名前だろう。
僕も彼の音楽が大好きなのだが、サイモン・ジェフス自身のことは本当に断片的にしか知らない。少し調べてみようと思った。
と思っていたところ、都合よくこんな動画があった。
持田さんは中央線周辺でご活躍されているので、実際にイベントなどで何度か話を聞きに行ったこともある。「あなたの聞かない世界」という、とにかくマニアックでアングラな、インダストリアルやらネオサイケやら、ニューエイジ、ジャーマンテクノなど、知る人ぞ知るような、普通の人は聞かないような音楽のガイドブックの著者である。この本の冒頭に世界、日本、音楽界のアングラ年表が貼られているのだが、これがなかなかの力作で、これだけでも読む価値があるのではないか、と思う。
上記の動画の中で、サイモン・ジェフスの簡単な経歴やエピソードを説明してくれている。
・1949年イギリスに生まれる。
・幼少期カナダにいたこともある。
・若い頃に音楽大学で音楽を学ぶ。
・バックパッカーとして世界を旅する。
・1972年に日本に来て、尺八とか琴に魅せられる。(後述のサイトによると実際は1974年のようだ)
・同年南仏の浜辺で食べ物にあたって倒れている時に「私はペンギンカフェの経営者です。ランダムに話します。」などという幻覚を見たという。イギリスに戻ったあと、そのインスピレーションを具現化し、アフリカ音楽や、ヨーロッパの民族音楽、ポップミュージックなどをミックスした音楽をやりたい、とPCOを立ち上げる。
・その音楽に共鳴したブランアン・イーノのレーベルからファーストアルバムが発表される。
・まだPCOが売れる前にはクラッシュの前身、101er’sのレコーディングを手伝ったり、シド・ヴィシャスの有名なカバー、「My Way」のストリングスアレンジをやったりしている。またアダム・アンド・ジ・アンツがアフリカ音楽のテイストを入れようとした時にアドバイザーとして採用され、レクチャーをするなど、パンクロックシーンにも影響を与えていた。
・1997年12月11日、48歳で脳腫瘍のため死去。
また少し探すと、こちらの日本のファンの方が作成した、PCOアンオフィシャルサイトというのがあり、興味深いエピソードなどが書かれている。
上記のペンギン・カフェのインスピーションに関して、若干異なる見解が書かれている。曰く『アルバムのライナーノーツによれば「1972年6月にサイモンが腐った魚を食べてしまい、その時の悪夢に出てきた”ペンギン・カフェ”と言う名前に由来している」と言う説と、以前あったP.C.O.のオフィシャルWEB(*1)では「1972年、南フランスの海岸で日光浴しているときに浮んだ」と記されていた。いづれにしても、このアイディアを基に同年京都の友人の家に居候していたときに書いた曲が「Penguin Cafe Single」という曲だった。』
また1982年『PCOとして初の来日公演を果たし、この模様はNHK-FMでも放送された。この時にサイモンがかねてから望んでいた坂本龍一氏とのコラボレーションが実現。オムニコードと坂本氏のシンセ、そして矢野顕子さんの声を加えて”THE Snake and THE Lotus”という曲が出来る。』とある。
この曲は探してみたが、その後PCOバージョンとして再録音されたものはあったが、その当時の音源は見つからなかった。
また大変面白いエピソードとして、『’92年にJohn Cageの死亡のニュースに応えて作曲した”Cage Dead”と言う作品も収録。この曲は全てC.A.G.E.の音階から引きだされ、ピアノはD.E.A.D.の音を弾いており、常にその順序と法則で出来ている。しかもこの曲の長さが4分33秒(*2)である。』とある。ケージの死をコード進行にしてしまう、そしてあの名曲と同じ4:33でピタッと終わる、その発想がいかにもサイモン・ジェフスらしい。
1974年の来日時、京都・奈良への滞在がPCOの音楽に大きく影響したことは間違いない。持田氏の動画でも語られているが、この頃に作った曲の一つ、多くのアイリッシュ・トラッド・ミュージシャンもカバーしている有名な「Music for a Found Harmonium」がある。
この曲は京都に暮らしていた時に近所で道に捨てられていたオルガンを拾ってきて、ところどころ音の出ない鍵盤で作曲された、とどこかに書いてあったように記憶している。しかし上記の動画でのオルガンの演奏をみると、むしろ「鍵盤が壊れて同じ音が出続けてしまうオルガン」で作られたのかもしれない。いずれにしても大変な名曲である。
年末に来日予定のシャロン・シャノンのバージョンもどうぞ。
それから当時面白いな、と思った曲が「Telephone and Rubber Band」。イギリスの電話の話し中の呼び出し音をベースにして作った曲だ。1989年にイギリスに行った時、実際にこの呼び出し音を聞いて感激した記憶がある。こちらは2014年の来日公演の映像。
下記の動画、前半は1987年にTVで放送されたPCOのライブ演奏とインタビューを含むドキュメンタリー、そして後半は同年行ったバレエ公演Still Life at the Penguin Cafeが収録されたものである。
この中で、サイモン自身が日本に来た時のことを語っている。日本がどこにあるのか、どんなところかもわからなかったという。ただ、そこに行かなくてはならない、と何かに背中を押されて来たのだという。またサイモン自身が撮影した8mmフィルムの映像が含まれていて大変興味深い(08:00くらいから)。とにかく日本でPCOという自分の居場所を見つけたんだ、と語っている。
サイモン・ジェフスの音楽には、文字通り音を楽しむ純粋さがある。PCOのメンバーにはクラシック畑の人も、伝統音楽をやる人も、ポップミュージックの人もいるのだという。異なるジャンルや色々な国の伝統音楽を意図的に混ぜ合わせてしまう。壊れたオルガンも、電話の待ち受け音も取り入れてしまう。とにかく気持ちが良いくらい自由なのだ。
上記のTV番組のインタビューで、なぜこのような音楽を作ることになったのか、について本人が語っている。「自分はクラシック音楽のシステムには合わなかった。かといってポップミュージックにも満足できなかった。むしろ民族音楽なんかが一番好きだった。アフリカや南米の音楽。しかし自分はイギリス人だから、自分たちから生まれるものを探したんだ。」
僕はPCOの音楽は大好きなのだが、実はセカンドとサードアルバムくらいしか聞けていない。ビデオ作品も含めれば7作あるという。またトリビュートなども多い。少し集めて聞いてみたい。