NICO, 1988

NICO, 1988

「残響のメロディ 魂の放浪者ニコ、最後の旅路」という映画を見に行った。

 よく調べもせずに観に行った自分が悪いのであるが、少々拍子抜けであった。作品紹介に「本作は彼女の華やかな栄光の時代ではなく、1988年に彼女が49歳で亡くなる直前の2年間に焦点をあてた異色の音楽伝記ドラマ」とあるように、勝手にドキュメンタリーだと思っていたのだが、「ドラマ」であった。

大体邦題が良くない。「残響のメロディ 魂の放浪者」はいらないのではないか。原題は「NICO, 1988」である。それでいいじゃないか。せめて「ニコ、最後の旅路」でいいじゃないか。 

問題は主演のニコ役が、全然似ていないことである。顔がそっくりの人を探すのは大変なのだろうが、そもそもなんというか、雰囲気が違うのだ。ニコはもともとファッションモデル出身で、映画女優としても活躍していた美女である。美女という言い方は良くないかもしれない。魅力的な女性である。ファム・ファタルなのだ。この映画の女優にはどうしてもそういう雰囲気が感じられない。(映画の中のインタビューのシーンで「私はファム・ファタルと呼ばれるのが大嫌いなのよ」と言っていたが)

なぜ彼女がファム・ファタルなのか。彼女のキャリアを見てみればわかる。どれだけの才能を持った男たちが彼女に魅入られてきたか。

1960年、22歳の時にフェリーニの『甘い生活』に端役で出演。1962年、映画のロケで知り合ったアラン・ドロンとのあいだにできた子供、アリを出産する。同年12月発売のビル・エヴァンスのアルバム『Moon Beams』のジャケットのモデルを務める。

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ビル・エヴァンス『Moon Beams』

1963年には『Strip-Tease』という映画に出演し、セルジュ・ゲンスブールのプロデュースで同タイトル曲を録音。1965年にはローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズの紹介によりイギリスでファースト・シングル「I'm Not Sayin'」を出す(そもそもブライアン・ジョーンズとも付き合っていたようだ)が、商業的には成功しなかった。ちなみにこのシングルのB面「The Last Mile」はジミー・ペイジが作曲・プロデュースしている。

またこの頃、ボブ・ディランの紹介でアンディ・ウォーホルに出会ったニコは、ウォーホルが主宰する「ファクトリー」の実験映画に参加。ウォーホルは自らがプロデュースしていたルー・リード率いるヴェルヴェット・アンダーグラウンドにニコを参加させ、1967年3月のファースト・アルバム『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』では3曲でニコがリード・ボーカルをとった。同時期に、ベルベットのメンバーの他、ボブ・ディランやジャクソン・ブラウンなどが作曲した曲で構成されたデビュー・アルバム『チェルシー・ガール』(1967)をリリース。その頃ジム・モリソンの勧めで、ロックでは伝統的に使われない楽器であるハーモニウムを使って自作曲を作り始めた。

Serge Gainsbourg & Nico - Strip-Tease (1962)

 ブライアン・ジョーンズのプロデュースしたI'm Not Sayin' (1965)

 上の曲のB面、ジミーペイジがプロデュースしたThe Last Mile(1965)

 ボブ・ディランが提供した曲 I'll Keep It With Mine(1967)

 この映画のなかでも本人役がインタビューで「ベルベット・アンダーグラウンド脱退後から私のキャリアは始まったのよ」と語っている。アルバム「チェルシーガール」もベルベットのメンバーの色が濃く、あのストリングスやフルートのアレンジにはニコ本人も反対だったと語っている。だからその次のアルバム『マーブル・インデックス』(1968)が彼女の本当のキャリアスタートと言っても良いのだろう。「チェルシーガール」が好きな人は多いと思うが、その翌年に出た『マーブル・インデックス』を聞くと、その前衛的な音楽性に驚くと思う。それはプロデュースをしたジョン・ケイルの影響なのかもしれないが、ニコ本人が作りたい音楽だったということに違いない。

息子のために作った曲Ari's song(1968)

 続いてジョン・ケイルプロデュースで『デザートショア』(1970)、 『ジ・エンド...』(1974年)が発表される。
 
『デザートショア』(1970)よりJanitor of lunacy。

 そしてThe End(1974)のタイトル曲。ドアーズのカバー。このアルバムにはブランアン・イーノとフィル・マンザネラが参加している。なんという豪華なアルバムだ。

 1970年代の終わり、ツアーで訪れたパリで、ニコは愛用していたハーモニウムを盗まれたのだが、同行していたパティ・スミスが新しいハーモニウムを買ってくれたという。

1981年、『ドラマ・オブ・エクザイル』 - Drama of Exile (1981)を発表。
デビッドボウイのヒーローズのカバー Heroes(1981)が入っている。とてもカッコいい。

 そしてラストアルバムとなったカメラ・オブスキュア』 - Camera Obscura (1985)
その中に入っていたマイファニーバレンタインのライブ映像。

 ニコは多くのポストパンクのミュージシャンに影響を与えた。モリッシーもその一人だ。自分に影響を与えたアーティストとしてニコの名前を挙げている。そして「Innocent and Vain」について、「これは私の青春の1曲だ」と語っている。
非常にアバンギャルドな曲だ。

 またなんとなく境遇が似ているマリアンヌ・フェイスフルは、2002年にLP 『Kissin' Time』で「Song For Nico」を録音し、ニコを追悼している。

 実は僕はニコの1986年の東京公演を観ている。当時僕は19才で、静岡から友達何人かで観に行った。当時ベルベット・アンダーグラウンドのコピーバンドをやっていたので観に行くのは当然のことであった。同行した知人のなかにアメリカ人がいて、なんと彼は以前ニューヨークにいた時にあのチェルシーホテルに滞在していたことがあり、その時にニコと知り合いになったというのだ。そして、ライブ会場に着くと彼は、楽屋に入れてくれないか、と開催側に交渉した。これが受け入れられたのだが、入れるのは2人までということだった。残った僕らはジャンケンをして僕は負けてしまって入ることができなかった。
 
Nico in Tokyo(1986年4月11日、東京でのライブ録音)からMy Heart Is Empty。

 久しぶりに聴いてみると非常に完成度が高いライブアルバムである。というか今回久しぶりにニコの音楽を聴いたが、どの時代のどの音源を聴いても、その先進性とオリジナリティと質の高さに驚く。彼女はすばらしいミュージシャンなのだ。

遺作となったのはマーク・アーモンドとのデュエット曲「Your Kisses Burn」(1988)。

感動的な曲だ。この曲のことを今まで知らなかった。なんでだよ、と自分にツッコミを入れたい。それにしてもこのyoutubeの映像にあるニコの写真には驚く。ピンナップモデルのようなカワイぶりっこの写真があるが、本当に彼女なんだろうか。

今回の映画でも描かれていたが、晩年まで薬物中毒に苦しんでいたという。しかし死の直前には代替療法を始め、健康にも気を遣っていたという。自転車もその一環で乗り始めたのだが、その結果自転車で転び、頭を打ったのが死因となってしまった、という皮肉な最後だった。1988年7月17日、偶然にも一週間前が命日だったのか。

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