シド・バレットの映画を観てきた。
僕は若い頃からピンク・フロイドは聞かなかった。パンクロックから入ったので、プログレなんか聞いてはいけない、と言われて育った。しかしシド・バレットのアルバムはよく聞いた。変則的な曲構成、独特なコード使い、ギターの音色が心地よかった。
映画自体は正直を言えば少し期待外れであった。とにかく当時を知るメンバーや関係者のインタビューが多い。みんな若い頃の写真が映った後、現在の本人が登場するわけだが、年月の流れとはかくの如く、「老いる」と言うことはこういうことか、と思わざるを得ない。当然ピンク・フロイドファンは、わっ、デビッド・ギルモアだ、あわわ、ロジャー・ウォーターズだ、と楽しいのかもしれないが、僕にとっては知らないお爺さんたちである。
唯一興奮したのがピート・タウンゼントである。インタビューで話している内容もよかった。ギターの音の凄さについて語っている。ライブに行くと一発目でジャーンとすごい音を出すんだ、ジャジャジャーン、ビョイーン、とすごい音なんだぜ、まだ発売されたばかりのリバーブを2台も持っていて、それを繋げてすごい音を出すんだぜ、と腕を広げて大きなジェスチャーで喋っているところに好感が持てた。さすがゴッドファーザー・オブ・パンクのピートだ。
あとは付き合っていた女性が3人くらい登場する。もちろん現在はそれなりの年齢なのだが、お綺麗な方ばかりだったことに感心した。しかも3人とも全然タイプが違う。少しグラマラスな感じの方、聡明な感じの方、素朴な感じの方。シド・バレットはモテたのだろう。昔の写真を見ると確かにかっこいい。
シド・バレットがピンク・フロイドを追い出されたのは薬のせいだった、と映画の中でも説明されている。それは確かなんだろうと思うが、音楽的な指向の問題もあったのではないか。シド自身もライブをやっていて、どこか違和感を感じていたのではないか。ピンク・フロイドの他のメンバーにとっても、シドが必要なくなった、と言うことはないだろうか。それで、ますます薬にハマっていくと言う悪循環。
ソロアルバムを2枚出した1970年以降、人前に出なくなり、故郷のケンブリッジに引きこもる。映画にも妹さんが出ていて、私が35年間面倒を見たのよ、とうんざりしたように語っている。2006年に60歳で亡くなっている。知らなかった。僕はもっと若くして亡くなっていたんだとばかり思っていた。
1947年生まれ、20歳くらいでピンク・フロイドがデビューしてヒット、22歳で脱退、24歳でソロを2枚出してその後35年間ずっと引きこもった、ということなのだ。なんという青春。ドキュメンタリーではなく、ドラマを作ってほしい。
Wikiによれば、あのジミ・ヘンドリックスがシドのギターに影響された、と言ってるそうだ。おそらくギターそのもののテクニック、と言うより、弦を緩めたり、エフェクターをかけまくったり、ハウリングさせたり、そう言うところに影響を受けているのではないだろうか。
この動画なんて見るとそのテクニックが満載である。ジッポーライターでスライドギターのように弾く、チューニングペグを回す、ギターのボディをたたく、エコーでフィードバックさせる。プログレ、と言うよりはアバンギャルドなパンクバンドみたいだ。ここではダンエレクトロを使っている。
またフェンダーエスクワイアを使用していることでも有名だ。こちら、シド・バレットのギターに関するフェンダー社の記事があった。
AI翻訳をそのまま貼り付ける。
「エスクワイアには独自の配線がある。ネックピックアップがないため、弦の磁力は低下する。これによりエスクワイアは倍音が良くなり、よりパーカッシブなアタックを生み出す」と、これを読むと、なんだか欲しくなってくる。今度探してみよう、と思ってReverbを見てみたら、60年代のエスクワイアは、400万とか、1000万であった。ピックガードだけでも40万とは・・・
こんなのも見つけた。シド・バレット所有のヤマハの12弦ギターがオークションにかけられたと言う。80万円、となんとも微妙な価格だ。
映画の中でも語られるケンブリッジでの引きこもり生活の中で、シドは時々絵を描いていたようだ。しかし、描いては壊したり、上書きしてしまうので、あまり作品は残っていないと言う。しかし、その晩年は失意の日々なんかではなく、豊かな創作の日々だったのかもしれない。
しかし、彼の残した絵を紹介した動画を見つけた。晩年の作品も多い。