ブライアン・セッツァーについてのニュース。
なんとギターが弾けないという。彼にとってギターが弾けないというのは、僕らにとってはご飯が食べられないとか、風呂に入れないとかと同じくらい辛いことでは無いだろうか。
ブライアン・セッツァーのギターは、ロックの歴史に刻まれるべきだと昔から思っている。しかし、ローリングストーン誌のロックギタリストランキング100人に入っていない。なんということか。
昔、ロバート・フィリップが「ブライアン・セッツァーのようにギターが弾けたらいいのに」と言ったという話を聞いたことがある。またジェフ・ベックもストレイ・キャッツのライブに足繁く通うほどのファンだったという。
ストレイ・キャッツの結成は1980年、当時イギリスでテディボーイが流行っていたので、自分たちが受けるのではないか、という理由でイギリスに渡りデビューしたのだという。そして最初のアルバムはあのデイヴ・エドモンズがプロデュースしている。1980年といえばデイブはロック・パイルのファーストアルバム(そして唯一のスタジオアルバム)を出したばかりでライブツアーで忙しくしていた時だろう。それでもプロデュースをさせてくれと自分から名乗り出たのだそうだ。ロンドンでのライブにはストーンズやフーのメンバーも見にきたという。当時はそれだけセンセーショナルだったのに違いない。
デイブ・エドモンズを知らない人もいるだろう。ロックンロールギターを弾かせたらブライアン・セッツァーぐらいしか右に出るものはいない、と思う。こちらは1979年、ロックパイルの勇姿。ニック・ロウ翁の右でギターを弾くのがデイヴだ。この抑制の効いたアレンジの名曲「アイ・ニュー・ザ・ブライド」、最高だ。
こちらではストレイ・キャッツと共演している。初めて観たが、すっかり馴染んでいるじゃないか。
こちらではデイヴ・エドモンズとの馴れ初めを話している。ロンドンでのステージを終えて楽屋に戻ると、ウォッカトニックを作っているデイヴ・エドモンズが居て、君たちのプロデュースがしたい、と申し出たそうだ。いかにも彼らしい。当時のストレイ・キャッツは二十歳そこそこ、デイヴは35歳くらいだ。「君たちのやってる音楽を全く知らない奴らに変なプロデュースされるより、その音楽を誰よりもよく知っている俺にプロデュースさせてくれ」と言ったそうだ。
デイブ・エドモンズの話ばかりで申し訳ないが、ニック・ロウの評伝を読んでいたら、当時ロック・パイルのライヴにストーンズのキース・リチャーズが遊びにきてステージに出してくれ、と言われたそうだ。しかし何曲か演った後、薬でフラフラ、演奏もままならないキースに痺れを切らしたデイヴは「このうざったい野郎をステージからおろしてくれ!」と怒鳴ったという。なんという大物だろう。
しかしまずはイギリスに渡る、という彼らの判断は、正しかったのだろうと思う。当時のイギリスはアフターパンクの嵐の中にあった。雨後の筍のように新しい音楽が生まれようとしていた。その大きな波に彼らも乗ったのだ。ストレイ・キャッツ自身もそのファッションや音楽はとんがっていて、パンクのアティチュードが感じられたし、実際にパンクに影響を受けているはずだ。
ジョー・ストラマーとの交流も有名だ。ジョー自身ファンだったに違いない。クラッシュのこの曲は絶対ストレイ・キャッツの影響を受けていると思う。
その後も親交は続いたようで、この1991年のブライアン・セッツァーの曲はジョー・ストラマーとの共作で、ジョーのボロボロのキャディラックのことを歌っているとのこと。
ブライアン・セッツァーのギターというのはただ上手なだけではない。特にそのギターリフのかっこよさ。指弾きとピック弾きの組み合わせ、和音と短音、ミュートの使いかた、そのアイディアの豊富さにはほんとうに脱帽する。天才だと思う。彼は後年のブライアン・セッツァー・オーケストラにおいてホーン・セクションの編曲をし、楽譜を全て自分で書いたのだそうだ。そもそも音楽というものをよく理解しているのだろう。頭で音楽が鳴っているタイプなんだろうと思う。
こちらは最も脂がのっていたであろう1983年のライブ。この2曲目「Double Talkin’ Baby」のギターリックなんか本当に最高だ。もちろんロカビリーファンにとっては神様のような存在なのだろうが、もっと普遍的な音楽として評価されるべきなんじゃないか、とつくづく思う。
こちらは弾き語り。ブライアン・セッツァーは歌もいい。
そしてこちらは2024年の8月、つい最近のライブだ。メチャメチャ楽しそうじゃないか。なんとか病気を克服してまたギターが弾けるようになることを祈りたい。