The Dubliners 酔いどれダブリン市民

The Dubliners 酔いどれダブリン市民

アイリッシュギタリストについて調べたとき、アイリッシュ・トラッド・フォーク・グループのダブリナーズにはなんと5人ものギタリストがいたことがわかった。よく考えてみれば、ダブリナーズのメンバー構成、その成り立ちと歴史、現在残っているメンバーなど、あまり良くわかっていない。僕はもう30年来ダブリナーズの大ファンである。iPhoneにダブリナーズの曲が134曲入っている。日本で50番目くらいにはダブリナーズが好きなんじゃないかと思う。このままでは死んでも死にきれないのでしっかり調べてみよう。

ウィキペディアには非常に整理された情報が載っている。まずメンバー。単純に羅列(コピペ)すると以下のようになる。12人もいる。

Ciarán Bourke – vocals, guitar, tin whistle, (1962–73, 1973–74; guest – 1987; died 1988)
Ronnie Drew – vocals, guitar (1962–74, 1979–95, 2002; guest – 1978, 2005; died 2008)
Luke Kelly – vocals, banjo (1962–65, 1965–83; died 1984)Barney McKenna – Irish tenor banjo, mandolin, melodeon, vocals (1962–2012; died 2012)
Bobby Lynch – vocals, guitar (1964–65; died 1982)
John Sheahan – fiddle, mandolin, tin whistle, concertina (1964–2012)
Jim McCann – vocals, guitar (1973, 1974–79, 1984, 1987, 2002; guest – 2009, 2011, 2012; died 2015)
Seán Cannon – vocals, guitar (1982–2012)
Eamonn Campbell – guitar, mandolin (1984, 1988–2012; died 2017)
Paddy Reilly – vocals, guitar (1984, 1995–2005; guest – 2011)
Patsy Watchorn – vocals, banjo, bodhrán, spoons (2005–2012)
Gerry O'Connor – Irish tenor banjo (2005, 2012)

日本語にして、経歴を追いながら少し整理してみる。

「創設メンバー」

○キアラン・バーク ボーカル、ギター、ティン・ホイッスル( 1962–73、1973–74; ゲスト – 1987; 1988年死去)
○ロニー・ドリュー ボーカル、ギター(1962–74、1979–95、2002; ゲスト – 1978、2005; 2008年死去)
○ルーク・ケリー ボーカル、バンジョー (1962–65、1965–83; 1984年死去)
○バーニー・マッケナ アイリッシュ・テナー・バンジョー、マンドリン、メロディオン、ボーカル(1962–2012; 2012年死去)

残念ながら全員亡くなっている。
始まりはロニー・ドリューが1962年に組んだThe Ronnie Drew Ballad Groupというグループだという。そこにルーク・ケリーが合流してダブリナーズが結成される。”Dubliners”というのはジェイムズ・ジョイスの小説「ダブリン市民」と同じだが、本当に当時ルーク・ケリーがその小説を読んでいたのが命名のきっかけだという。

メンバーの担当パートを見てほしい。全員ボーカルである。アイリッシュ・セッションをやっている若者に問いたい。君は歌えるのか、と。アイルランドは詩と歌の国である。歌を歌おうではないか。

とにかくロニー・ドリューが中心である。彼が作ったバンドだ。
前身のThe Ronnie Drew Ballad Groupの映像が残っている。

そして、もう一人メインボーカルがルーク・ケリーである。1940年生まれ、1984年に44歳で亡くなっている。ロニー・ドリューが1934年生まれだから、子分みたいな感じだったかもしれない。ドリフターズの長さんと加藤茶みたいな感じか。
この人の歌声こそダブリナーズの真髄だと思う。ダブリンの労働者階級の家庭に生まれ、家族や親戚から歌を教わり、長年パブに出入りしていないとあの歌は歌えないだろう。
しかし彼の生い立ちをみると実際はもっと現代的だ。ケリーは 13 歳で学校を中退し、掃除機のセールスマンなどで食い繋ぎながら1958年にイギリスに渡る。彼は自分自身をビートニクだと呼び、仕事を求めてイングランド北部を放浪し、この時期の自分の人生を「トイレを掃除し、窓を掃除し、鉄道を掃除したが、顔を掃除することはほとんどなかった」と要約したという。ロンドンではフォークリバイバルが進行中で、その中心にいたユアン マッコールと知り合い、パブで歌を歌ったという。「ダーティ・オールド・タウン」を作曲したイギリス人のシンガーソングライターである。

ダブリナーズとしての最初のシングルは1963年の"Rocky Road to Dublin" と "The Wild Rover"だという。下の動画では2曲ともルーク・ケリーが歌っている。

"Rocky Road to Dublin"映像は1976年。

"The Wild Rover"1981年の映像

キアラン・バークは1935年まれ、生涯の大半をダブリン州北部のティブラデンで過ごした。アイルランド語を話す乳母に育てられたのでダブリナーズの中でゲール語担当だったという。

バーニー・マッケナは1939年生まれのバンジョープレイヤーで、19フレットのテナーバンジョーを弾き、パディ・モローニによるとGDAEチューニングをアイルランド音楽の標準バンジョーに定着させたのが彼だという。なんと若い頃はチーフタンズに居たこともあるという。珍しいバーニー・マッケナのボーカルの動画。

 

「初期加入メンバー」

○ボビー・リンチ ボーカル、ギター(1964–65; 1982年死去)
○ジョン・シーハン フィドル、マンドリン、ティンホイッスル、コンサーティーナ(1964–2012)

ボビー・リンチは2年だけの活動だ。1964年にルーク・ケリーがイギリスに引っ越したときの代役らしい。残念ながら動いている動画は発見できなかった。こちらはボビー・リンチのボーカルの歌。

ジョン・シーハンはもう創設メンバーと言っても構わないだろう。2012年の解散まで在籍している。しかしジョン・シーハン本人によれば、彼は公式にバンドへの参加を求められたことは一度もないという。フィドル担当だが、ティン・ホイッスルも上手い。こちらはなんとパディ・モローニとの共演。

 

「70年代加入メンバー」

○ジム・マッキャン ボーカル、ギター(1973, 1974–79, 1984, 1987, 2002; ゲスト – 2009, 2011, 2012; 2015年死亡)

ロニー・ドリューは1974年に家族と過ごす時間を作りたい、という理由バンドを去っており、その後79年に復帰している。その空白期間に代打として入ったのがジム・マッキャンのようだ。ダミ声ばかりのダブリナーズで最も甘い歌声ではないかと思う。“Carrickfergus” アイリッシュバラッドで一番好きな曲である。

 

「80年代以降のメンバー」

○ショーン・キャノン ボーカル、ギター(1982–2012)
○イーモン・キャンベル ギター、マンドリン(1984、1988–2012; 2017年死去)
○パディ・レイリー ボーカル、ギター(1984、1995–2005; ゲスト – 2011)
○パッツィ・ウォッチオーン ボーカル、バンジョー、ボードラン、スプーン(2005–2012)
○ジェリー・オコナー アイリッシュ・テナー・バンジョー(2005, 2012)

1980年にルーク・ケリーは脳腫瘍と診断され、ドイツでのツアー中にステージで倒れる。ショーン・キャノンはその穴を埋めるために加入したという。あの破天荒なルーク・ケリーの代役としては大人しすぎるキャラクターにも見えるが、それが良いのかもしれない。こちらは1985年の映像。

イーモン・キャンベルは1987年加入、最後までダブリナーズのメンバーとなる。この人は色々な映像などをみるとギターが相当上手いと思う。またプロデュース的な仕事も多いらしい。90年代半ばのポーグスとの共演は彼の提案だという。こちらは一人で”Dirty Old Town”を歌っている動画。

パディ・レイリーは、元々ソロで活躍をしていたシンガーだったが、ロニー・ドリューが病気で脱退した後釜として1996年に加入している。彼はニューヨークで多くのアイリッシュパブを経営しているらしく2005年にアメリカに渡り脱退している。その前2003年の40周年記念ライブでの映像。ダブリナーズと言えばこの曲だ。

パッツィ・ウォッチオーン(Patsy Watchorn)と読むのがあっているのかどうか。元ダブリン・シティ・ランブラーズのボーカリスト。上記バディ・レイリーがニューヨークに戻って抜けた2005年からメンバーとなっている。

ジェリー・オコナーはメンバーというより助っ人であろう。少し年齢が釣り合わない。彼はスーパーバンジョー奏者である。2012年にバンジョーのバーニー・マッケナが亡くなった際に代役として登場した。

 

「ポーグスとの共演」

ダブリナーズが共演したことで有名なのはポーグスだろう。ポーグスとの共作でランキングに2曲を送り出している。「アイリッシュ・ローバー」は1987年に英国シングルチャート8位、アイルランド1位、そして1990年サッカーイタリアW杯のアイルランドチームの応援歌「ジャックス・ヒーロー/ウィスキー・イン・ザ・ジャー」はアイルランドで4位を記録。

「アイリッシュ・ローバー」
シェインが若い。憧れのダブリナーズを前にして少し緊張している感じがする。

「ジャックス・ヒーロー」
なんとポーグスとダブリナーズみんなでサッカーをやっているPV。

 

「グループの解散」

結局2012 年の秋、バンドは引退を発表。そしてその年末に50 周年記念ライブを行った。こちらはその50周年記念コンサートのフル映像。創設メンバーはもはや誰も残っていないのだが。

 

ダブリナーズの音楽の立ち位置を説明するのは難しい。アイリッシュトラッド、アイルランド民謡であるのは間違いないが、アイリッシュパブのセッションで演奏される音楽とも少し違う。バンドサウンドだしシングアウトスタイルで歌が基本である。商業音楽である。しかしロックバンドではない。フォークソングというのが近いかもしれない。アイリッシュ・フォーク・バンドといえばいいだろうか。この2,3百年に歌い継がれてきた古い曲を歌っている。

また彼らは多分に政治性の強いグループでもあった。1960年代に「The Old Alarm Clock」「The Foggy Dew」「Off to Dublin in the Green」などアイルランド独立に関する反乱の歌を歌ったが、その頃激化した北アイルランド紛争によってこれらのほとんどをレパートリーから削除せざるを得なかったという。またアイルランドの国営放送局 RTÉは1967年から1971年まで彼らの音楽を非公式に放送禁止にした。
もともと彼らは1965年にドミニク・ビーハンの支援を受けてレコード会社と契約し、売り出されている。彼はアイルランドの劇作家ブレンダン・ビーハンの弟で、本人も作曲し歌を歌い、強烈なアイルランド共和主義者だった。当然ダブリナーズのレパートリーにもも” McAlpine's Fusiliers”などドミニク・ビーハンの曲があり、ブレンダン・ビーハンの”Auld Triangle”も歌っている。ダブリナーズの歌は長年イギリスからの支配と抑圧に苦しんできたアイルランド人の魂の叫びでもあるのだ。

ダブリナーズの昔のライブなどを聴くと、詩を朗読したり、観客を笑わせたりしているシーンがある。何を言っているのかはよくわからないが、きっと政治的な際どいギャグを飛ばしているのではないかと思う。誰かアイルランド人にどの辺が面白いのか詳しく解説をしてもらいたいものだ。

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